
恋愛講師として
10年以上の経歴・200人以上の実績
講師 ノビシロ
NOBISHIRO
恋愛コンサル200人以上の実績ノビシロ自己紹介
ノビシロです。
数多くある恋愛アカウントの中から、このページに行き着いて下さりありがとうございます。
もしよろしければ、
僕自身の信念などもお伝えできればなと思いますので、
最後まで約5分間だけお時間をいただければ幸いです。
今でこそ恋愛コンサルタントを10年以上し、累計200名以上の方の恋愛コンサルをしております。
- 童貞だった方
- 一度彼女が出来てから随分時間が空いてしまった方
- 過去の恋愛のトラウマがあった方
- パートナーはいるが、まだ女性と遊びたい方
- 夫婦関係に悩んでいた方
このような方々をサポートさせていただきました。
正直、一人ずつお悩みが違うため、どういったコンサルが的しているか、またどんなことを望まれているか。
コンサルさせていただいた方それぞれで
想いがあり、悩みがあり、こうなりたいという未来があり、
それを共に私ノビシロと搬送し、最高の未来を手に入れる瞬間を何度も
ありがたいことに、させていただきました。
モテるようになるにはキッカケとタイミング
今でこそ、コンサルをする立場の僕でありますが、
当然のように僕にも非モテ時代がありました。
モテるようになるのは、本当にちょっとしたキッカケとタイミングなんですね。
それをどう自分の中で活かしていき変容していくか。
そこの背中を僕が押してあげるお手伝いをさせてもらってます。
人が言葉を使って理解しあうのは、
なかなか難しいのを体験したことがあるのではないでしょうか?
言葉は、表現できないものをあえて相手に伝えようとしたらこんな言葉なのかな。
自分の、
・どういう想い
・どういう考え
・どういう身体の状態か
・どういう気持ちか
それは一人一人違うわけです。
それをあえて言葉にして表すとこんな言葉かなとして言葉を使うわけです。
だから、人を理解し理解されるには「言葉」を使う必要性があるわけです。
・・・ところが僕は、その言葉を発することが上手くできませんでした。
僕は特に「可愛いなとか、綺麗だな」と意識していない女性に対しては普通の会話が出来るのに、
タイプだなと思う女性には赤面して吃音にもなるし、モジモジして話せないような男でした。
非モテ時代のノビシロ
今思い返すと、
僕の恋愛が苦手となったきっかけは母と姉でした。
当時、小学校6年生の姉の友達が実家に遊びに来た時、僕は小学校1年だったのですが、年上の綺麗なお姉さんに見えて衝撃を覚えたのを今でも鮮明に覚えています。
その姉の友達は、身長が高く足もスラッと綺麗で顔も可愛いというよりもキレイめな女性でした。心臓がズキュンと音が鳴ったのが聞こえてくるほどの一目惚れです。
僕が姉の友達を眺めているのを、母親と姉が
「なに顔赤くしてるのー?ウケるんだけど。好きなんだー!」
これがトリガーとなって、人を好きになるって恥ずかしいことなんだ。
そう印象付けをしてしまったんです。そこから僕はタイプの女性とは上手く話せない「赤面吃音男」が出来上がりました。
これは20歳過ぎの学生時代までずっと続きました。
本当にこれはキツかったです。
そして、このモテない人生に更に追い討ちをかけるような出来事が起こりました。
体調不良が追い打ちをかける
18歳くらいから体調を崩し始め、難病になってしまったのです。
当時は体調不良が続き、メンタルも徐々に蝕まれ、
歩くのすら困難で四つ這いか、ほふく前進で家の中を移動していました。
痛みと人生の虚無感で母親に包丁を渡して
「もう、楽にしてくれ」
このように言って人生を終わらせようとしたこともあります。
そんな時に、支えてくれたのが、友人と同級生の女性でした。
入院する前から学校をちょこちょこと休んでいたので、友達は何かあったんだろうなと気にはしてくれていましたが、
友人顔を合わせるのも怖かったのでプライベートでも、ほとんど会話が出来ない状態でした。
体調が辛かったのもあるんですが友人に、
「どうしたの?」と聞かれるのが怖かったんですね。
僕は、本当に心の弱い人間で他の人よりも、我慢の閾値が低いんだと思います。
そして誰よりもプライドが高い。
自分の弱い姿を人に見られたくないんです。
だから、難病になった時に一番仲の良い友人にすら、今の状況を相談出来なかった。
そして、入院したので休む理由を学校側にも説明しないといけなかったので、その時にやっと病気のことを友人に伝える事ができました。
友人の救いで難病を乗り越える
病室まで駆けつけてくれた時、本当に勇気がいりました。こんな話をした所で、友人にとって重荷になるだけじゃないか。今更話をして何になる。
とも思いましたが一番仲の良い友人だからこそ包み隠さず話そう。勇気を振り絞って伝えたら友人は優しく言ってくれました。
「よく頑張ったなぁ。」「けど、入院する前から話をしてくれても良かったのに。」
と。
この言葉を聞いた時危うく号泣しそうになりましたがグッと堪えました。
ここで泣いたら自分というものが消えてなくなりそうだと思ったからです。
本当は心の底から泣いた方がすっきり出来るんでしょうがこれも私のしょうもないプライドの高さで自制されたんだと思います。
また、同級生の美女も病室に駆けつけて来てくれました。
彼女もまた、僕の異変には気づいてくれていました。当然ながら入院する前から学校を休みがちだった当時学校で毎日顔を合わせていました。
そんな中、明らかに元気のない僕、日々やせ細っていく姿を目の当たりにしていて何かおかしいとは悟っていたそうです。
けど、それを聞いてはいけない雰囲気があったと。
だから、僕のいる時には明るく振る舞ってくれていたのも感じ取っていました。
知らないフリをしながら励ましてくれる美女の優しさを知っていたから、彼女が病室に来てくれた時、不思議と赤面せずに全てを打ち明けられました。
そうしたら女性「辛い思いして大変だったでしょ?」と顔をクシャクシャにして泣きながら話を聞いてくれたんです。そして、彼女はこう言って僕を励ましてくれました。
「でもこういう病気になったのは、それはきっとノビシロが乗り越えられると信じて神様が与えてくれた試練なんだよ。試練は乗り越えられる人にしか与えられないんだよ。だからノビシロなら乗り越えられるよ。」
こう言われて僕は今まで我慢していたものが弾け飛び、涙がポロポロ止めどなく流れていきました。なんて素敵な女性なんだろうと。
僕は、この言葉を聞いて心が入れ替わりました。
そして言葉はなんて力のある、人を変えることができる素敵なツールなんだと。
言葉は人を変える素敵なツール
【言葉は魔法】
そう思えました。
僕が変われたのは紛れもなく、友人と同級生の女性がいたからだと思ってます。
この経験をしたからこそ、
「言葉の魅力と、人生の捉え方」に気付かされました。
難病でド底辺に落ちてくのも今思えば素晴らしい。
それが摂理というものですよ。
自分がもっとより良くなる為に試練をくれるんだ。
あなたは今、恋愛で試練を与えてもらっているのかもしれません。
ただ、そういう試練を「ありがとう」という人と避ける人がいるんですよ。
私たちは試練やストレス以外では成長しません。
そうではないですか?
「うまく行った事をどんどん伸ばすこと」
これが1番良いんです。
でも私たちは上手くいくと「良かった」と言ってほぼ終わりになります。
本当はうまく行った事を
更にもっと上手くやるには、もっと上手くやるには。
と伸ばしていくことです。
これが1番エレガントな生き方なんです。
ですから1番エレガントなうまく行った事をどうやったら上手くいくのかっていう視点も必要です。
こう捉え始めてから、
不思議と赤面吃音症も改善しましたし、
自分の過去の経験が自分にしかない武器となり、
女性が勝手に僕に惚れてくれるようになりました。
どうやったら自分を一瞬で変えられるのか。
また、自分と関わった人たちをどのように変容・惚れさせることができるのか。
人が変わるのは自分ではなかなか気づかないのかもしれません。
しかし、周りから見ると、「あの人って随分変わったな」
とコンサルをしてて思う時にたくさん出会えます。
このページに行き着いてくれたことも
何かの運命です。
僕と出会ったあなたが笑顔に、そして変容していく姿を
言葉を使って皆さんと一緒に学べればなと思っております。
恋愛を通して、そのような内容までお伝えしていきますので、
生き方そのものが格好よくなることを僕は確信しております。
あなたのご連絡をお待ちしております。
僕は1人でも多くの悩める人を本当に救いたいです。
サポート能力の低い変なコンサルタントに付くと、最悪ですよ。
お金と貴方の大切な時間を取られ、
コンサル側の実力がないの
「変われないのは、貴方のせいだ」と言われる始末。
目も当てられません。。
僕は、やる気を出してもらうのもコンサルの役割だと思ってるんですね。
勇気を持って決断してくれた貴方には最高の未来をともに歩みたい。
その想いだけ。
お問い合わせに、今の悩みや、なりたい自分を記入し送信してください。
モテて人生を変えていきましょう。
待ってるよ。
講師 ノビシロ
コンサル経歴
20XX年3月 | オフラインコンサル開始 |
20XX年4月~ | 実績100名突破 |
20XX年11月~ | オンラインコンサル開始 |
20XX年4月~20XX年3月 | 年間30名のコンサル実績 |
20XX年1月 | 共同コンサル開始 |